点滅、点滅、点滅、
停車した車の中、ほぼしがみつくようにしてハンドルを握り、ビームライトに照らされた茶色いすすき畑を睨む。
ワイパーが規則的な動作音をたてながらフロントガラスを往来し、閉め切った窓の外側を雨粒がぶつかっては弾ける。バックミラーに釣下がった葉の形をしたミントグリーンの消臭剤が微かな香りを車内に漂わせていた。
助手席に座る彼はシートベルトもせずに、戸の開いたままになっているダッシュボードの中を凝視している。
そこには折り畳まれた地図と発煙筒二本、白いコットンのタオル、そしてそれに包まれたコルトが一丁、卑しい鈍色の頭を覗かせている。
今すぐ彼がそれを手にして、銃口を口の中に入れ引き金を引きはしまいかと考えたが、彼の瞳にはそんな大層なアクションを起こせるような力はないようで、見開いた深緑の瞳孔は陰っていた。
ハンドルを握ったままだった両手を動かそうと試みる。
筋肉が緊張しまるで死後硬直のようだ。手先の神経がどこかで分断されてしまったかのようで感触も温度も、湿度も何も感じられない。ゆっくりと、まず失った指の先の神経を捕えようと意識を集中させる。
両方の人差し指を少しずつ皮張りのハンドルからはがして、やっと浮かせることに成功した。剥がれたそばからだんだんと暖かみが戻ってくる。
そうしてすべての指先を浮かせたら、今度は緩慢に息を吐いて強張った肩を下ろす。この間にも助手席の彼は数分前の様子から何ら変化がなく、運転席から右側の車内は時が止まっているが如くだ。
実際ほんの数分しかかからなかっただろう長い体感時間を経て、ようやく私は黒い革張りハンドルから両手をおろすことができた。しかしその達成感も束の間、自分が置かれている状況の始末の必要性にかられる。
もう何をしようと取り返しのつかないことだ。
いっそこのまま、車の燃料が切れ、エンジンが止まり、一切の音も光も消え、永遠に何者にも気付かれる事なくこのすすき畑の中にいることができたらどんなに気が楽だろう。
手っ取り早くそうしたいならば、今ダッシュボードからいやらしくこちらを覗いているコルトを自分のこめかみに一発きめてやれさえすればいい。しかし行動を起こす原動力すら、私には残されていない。きっと後悔があればそうするだろう。ただその感情が沸き上がるまではまだいくつかの段階が必要だ。
今心にはただ空白が占めていた。
フロントガラス越し、すすきの頭越しに見える数キロ先の細い空の帯は闇から濃紺に変わりつつあった。
声を出そうとしたが、喉の管が乾いて引っ付いていた。吃音症患者よろしく暫く無言で喘いでから、唾液を無理矢理飲み込んで喉を拡げ、試しに吐息のような声を発してみる。あ、あ、あ、聞えた。
「おい、聞えるか?」
「・・・ああ」
硬直状態にあった彼は、僕の声に意外にもすぐ応答した。
しかしそれは弱々しく低く、言葉の重みの先で現実を拒絶しているように思えた。それは彼の澱み落ちた視線が示している。
「違う、兄さんのせいじゃない。俺の怠慢のせいさ。」
弟の呟きに、どう対応しようか頭の中でまごついていると、無機質な操作音と共に車両後部のトランクのロックが解除された。
弟は解除ボタンから指を離すとドアを開け、シートから尻を浮かせる。急に入り込んできた外気は想像していたよりも冷たく、湿気がすぐさま頬に張り付き耳の中に雨音が煙のように充満する。
ハンドルの下で両の手を堅く結ぶ。祈りの言葉は出てこなかった。膝が踊りそうになるのをこらえ、詰めていた息を吐く。ドアのロックは解除されたままだ。
雨の雫が容赦なく降り注ぎ、二人ともすでに髪も服も何もかもすっかりずぶ濡れだ。
彼はトランクの扉に手をかけた。躊躇するかに思えたが、そんな素振りはなく、まるで駐車場で荷物を出すような簡単な動作でノブを引いて、上に押し上げた。開口部の淵を雨水が滝のように流れる。
水が流れ落ち、暗闇から解き放たれた狭いトランクに敷かれた灰色のカーペットの上では、輝く長いブルネットの髪を散らし、彼女が横たわっていた。
小さく折り畳んだ身体は腰の部分でよじれ上半身が上を向き、見開いた目は偶然私たちのほうを向いているものの、それは見ているのではなく、不自然な曲がり方をした首が顔をこちらに向けさせているだけだ。
かかとに脱げかけたハイヒールをひっかけた、細く白い足首のその質感を私はよく覚えている。
朝目覚めるとまだ寝ている彼女のそれを、僕は冗談で抓ったりしたことがある。そんな時はきまって彼女は冗談めいたように笑いながら怒ったふりをし、一度シーツの中に顔を埋めて私の肩にキスをする。細い指先でオーディオコンポの再生ボタンを押し朝食を作りにベッドを抜ける。
彼女は合衆国の信頼に足る機関を通して、現在僕の妻と証明されている。
首を折られ、こうして狭いトランクの中無言で横たわっていたとしても、死亡届けを出さない限りは、僕の妻として現在進行形で認められているわけだ。
3年前に州や国によって認められた。現在進行系の妻。
彼女の唇の隙間から、小石のような歯並びが見える。口角が筋肉の収縮で上がり、なんだか微笑んでいるようにもみえて自分の頬もひきつる。
「ねぇ、私はここにいるわ、」
彼女の冷めた唇の隙間からそう囁く声すら聞える気がする。